ビル・店舗投資を行うには非常に難しい時代になりました。音楽はダウンロード、本や洋服はワンクリックで届けてもらえるようになり、飲食店は原材料が高騰し利益がなくなり、ネットで悪口を書かれるなどお店をやる人にとってメリットがない。
これが一時的なことなのか、今後は店舗というものがなくなっていくのか僕には分かりません。僕としては、自分の財産だからという我田引水的な考えからではなく、学生時代からお店というものが大好きなのでなくならないで欲しい、そう思っています。
昔からどこに旅行に行っても観光はせずにその土地のお店ばかり行っていました。高1の修学旅行で行った京都では、神社仏閣はほとんど覚えていませんが、お土産屋さんでBOØWYの畳一畳分くらいの特大パネルを買った事はよく覚えています。
それをバスに持ち込んだ時の先生と友達の顔も。でも、BOØWYの出身地の群馬だったら、1秒で店頭から売り切れるから、僕とすると掘り出し物を見つけた気分でした。
同じく高1の家族旅行でロンドンに初めて行った時も、僕は別行動をしてどこよりも先に行った場所が当時日本にはまだなかったHMVでした。お金がなかったのでDAVID BOWIEのレコードを1枚買っただけでしたが、今でもそのレコードは持っていますし、あの感激はずっと覚えています。
先日アメリカでもレコードを50枚くらい買ってきましたが、もう既に1枚も買ってきたものを覚えていません。30年以上前のことを覚えていて、最近のことを忘れているのは単なる老化でしょと笑い話をするつもりではなく、感情が込められているかどうか、大切なのは思い出かどうかなんです。
当時の僕にとってロンドンは憧れで、そこに行くまでの数年間ずっとどんなところなんだろうと夢見ていました。昔は、GOOGLEで前もって店舗の様子なんて見る事はできなかったですから、自分で色々と想像するんです。で、そこで買った1枚というのは生涯の宝物だし、最近値段も見ないでバババと買ったレコードは単なる買い物なんです。
しつこいので編集でカットされるかもしれませんが、もっと言うと、ロンドンからの帰りの飛行機で流れていたキャリン・ホワイトのロマンティックという曲を大人になってからビルボードライブ東京で生で聴いて、しかもステージに上がるたった1人に選ばれて恋人役になって1曲歌う間にずっと彼女に抱きつかれていたなんて思い出もあります。
お店ってそういう思い出と時間と場所を越えて紐づく、全ての人にとっての宝物を提供してくれる場所だと思うのです。そういうお店がどんどんなくなってきている世の中で、大河の一滴で単なる自己満足かもしれないけれど少しでも世の中の流れに抵抗したいのです。
そして、若い世代にもお店って楽しいよと伝えたいし、たくさんの人にお店をやって欲しいし、お店をやってくれる人たちを応援したい、そんな気持ちで最近の僕は店舗投資をしています。
■ビル投資・店舗設計をやってみたいという人へ
ここで本題に入りますが、そんな僕のコラムを見てビル・店舗投資をやってみたいと思う人がいることは、イコール僕のコラムを褒めてもらっているようで喜ばしいことなのですが、話をしたりDMでやり取りしていると、どうもズレを感じてしまいます。
上手く言えないのですが、一番感じるのはビル・店舗投資がキレイで簡単なものだと思っているということです。お店を自分でやったことがない人が、お花畑を想像しているというか。店舗をやるのも、そこに投資をするのも裏側はドロドロの沼の中で生きるようなものです。
蓮というのは、泥を栄養として泥の中で美しく咲きます。その美しい蓮(お店)を見て良いイメージを抱くのかもしれませんが、お店をやっている人は皆、悪戦苦闘した末に、泥を栄養にできる独自の装置を所有できるようになっただけです。
だから、自分でお店をやったことがないのに(いえ、100歩譲ってやったことがなくたって良いのですが)、自分でお店をやりたいというほどの何かがないのに、あるいはそこに自分では飛び込む勇気がないのに、”お店をやりたい他人を応援する”のは難しいのではないかと思うのです。
そこに覚悟はあるんか?と思うのです。
自分でお店をやる人は大なり小なりネジが外れている部分があります。サラリーマン、特に安全が保証されている公務員のような職業、あるいは保証されている生き方を選んだ方には理解できないことばかりの世界が広がっているワケです。
お店を貸すというのは、クラファンみたいに少し離れたところから一時的に少額を応援するわけではなく、自分の物件という財産をそのまま貸すわけで、中途半端な関わり方はできません。
そして、お店をやる人(借りる人)たちも、ある意味では命よりも大切なお金を使うわけですから、そこに妥協はありません。お互いの一番醜い部分だって見せ合って、ぶつけ合うこともあります。
インスタ映えするカフェに貸したい、そんなカフェの入るビルのオーナーになりたいと思っていても、実際はアルバイトがすぐに辞めて困っていたり、支払いが追いつかなかったり、夫婦でお店をしていることでそのしわ寄せが家族に来ているなど裏側では様々な問題を抱えているお店がたくさんあったりします。
僕の所有するビルに入居する店舗で、ネット上ではすごく評判の良いお店があります。「安くてうまい。この時代にこの値段で10年継続している秘訣は人柄。ずっと継続してくれ」みたいなコメントがついています。
それを見た僕は、「いや、このテナントさん、家賃たまってるんスよ。僕以外が大家なら家賃滞納でとっくに退去させられていますよ」とか思うのです。
それを口外しないで我慢できるかどうか。しかも、僕はその状況を当然好ましくは思っていないので、自分はお店に食べに行く気にはなれません。そうなると、何のためにこのお店に貸しているのかという気持ちにさえなります。
そういった意味では、何かあった時に家賃を待てる、損害を引き受けることができる、そんな覚悟があって、お店を応援するビルオーナーになりたいと思えるかどうかが肝かもしれません。
僕の復帰作となった138話を読んで、「僕もビルオーナーになりたい」「ライブハウスが入るビルのオーナーなんてカッコいいですね」風なメールを何通かもらいました。
でも、実は僕がコラムで書いた最初に入居しないかとメールを送って無視されたライブハウスは結局移転先が見つからず、自己破産をしたと地元メディアに先日掲載されていました。
たくさんのお客さんが再開を待ち侘びていて、まさか潰れるなんてと誰もが思っていたのに倒産したのです。それくらい、厳しいものなのです。
僕は自分がレコード店を7年間やったので、その苦しさや厳しさをわかっています。お店は儲かっていようが儲かっていなかろうが、毎日が戦場なようなものです。戦場で契約ではこうだ、世間のルールではこうだ、と言ってもなかなか守ってもらえません。
それじゃあ不動産投資にならないじゃないかと思われるかもしれませんが、僕も不動産投資だとは思っていません。かと言って、ボランティアをしているつもりもありません。むしろ、僕も自分の人生を賭けて得てきたものを、ここに投資しているので相応の高利回りにならなければ困ります。
冷たく聞こえるかもしれませんが、誰にでも貸すわけではありません。最低限の常識やマナー、礼儀はあるか、約束を守れるか、そんなことを確認しながら、この人はやる!と思った成長株としか付き合わない。簡単にいうならば、事業に投資している感覚に近いと思います。
■泥の中で美しい蓮を咲かせられるかは自分次第
さて、少し店舗投資の裏側のことを書きましたが、もちろんこれは僕のケースであり、世の中にはもっとスムースにさ洗練された投資をされている方はたくさんいるでしょう。感情なんて1ミリも込めないで数字と法律で投資をしている方もたくさんいます。
僕もそれが羨ましく思う時もありますし、できればそうしたい。でも、僕の今のやり方は僕の個性であり生き方だから仕方がない。
洗練された投資家になりたいと思っても、僕は大学サッカーの4年間を泥臭くプレーしろと徹底的に鍛えられ、練習後にラグビー部と一緒に泥だらけの風呂に入っていた人間ですから、キレイにプレーするやり方を知らないのです。むしろ、泥の中でこそ勝てると思っているくらいです。
ですから、多くの人にとっては、あまり参考にならない考え方かもしれません。でも世の中には少なからず僕のようなタイプの人もいるでしょうから、そういう方の参考になればと思っています。
「蓮は泥より出て(いでて)、泥に染まらず」と言いますが、僕は自分で望んでドロップアウトして、地方で自営業をしています。地方は都会のように洗練されておらず泥臭いイメージがありますが、実はその泥の中に強烈な個性や隠れた才能がある方がたくさんいます。
特に夜の世界の人はそういう方が多いです。そういう人たちを訳アリ、価値観も生きる世界も全く違うと遠ざけるのではなく、そんな人たちの良いところのエキスをたっぷりと吸収して、泥に染まらず自分が成長できるかどうか。結局はいつの時代も全ては自分の感じ方、考え方次第なのかもしれません。
汚い泥の中に自ら進んで飛び込む人は多くありません。しかしそこが盲点で、自分で泥を栄養として成長できるならば、逆に言うとこれほど競争が少なくて栄養たっぷりのブルーオーシャンもないわけです。
美しい蓮を咲かすことができるかどうかは自分次第です。こうやって考えることができれば、どんな時代にあっても、ビル・店舗投資を面白いと感じられるかもしれません。