はじめまして、長野県の南部で不動産投資をしているパスカルと申します。今回より健美家さんでコラムを書かせていただきます。
私は196X年代生まれですから、健美家さんのコラムニストとしてはかなり高齢デビューだと思います。私の事は、5月の大家列伝と8月のぺんたさんとの大家対談で紹介されていますが、もう少しだけ詳しく自己紹介等をさせていただきます。
私は、生まれも育ちも長野県です。大学も長野県内の国立大学でしたので、長野県以外で生活したことはありません。私の生まれ育った地域は長野県の南の地域で、長野県でもそれなりに田舎です。
東は南アルプス、西は中央アルプスに囲まれた細長い谷です。南北は何が見えるかというと、やはり山しか見えないで360°山に囲まれて不動産投資をしています。
■公務員の仕事がつまらない…
大学卒業後は、長野県の公務員採用試験を受け、よくある普通の公務員になりました。
就職当時の私には、まわりの同年代の同僚と同様に、公務員というのは定年まで勤め上げるのが当たりまえで、定年前に退職するという事は考えられない事でした。
働き始めて何年たったころでしょうか?
「このまま公務員を続けていても、この生活が続くだけか。つまらないな…」
と思うことが多くなりました。
その時は、漠然とやめたい気持ちを持っただけで、実際に行動したことは新聞の求人欄を見た事と、大型トラックの運転手の収入が良かったので、教習所の大型免許の取得費を見ただけでした。今のように情報が豊富にある時代でもありませんでした。
30代後半になって、公務員をやめたいという気持ちはさらに強くなりました。失礼ない言い方になってしまいますが、職場の先輩たちを見ても、自分が憧れる働き方ではありませんでした。
このことを同僚に話したところ、
「パスカル、オレ達の働き方も後輩から憧れられる働き方じゃないだろう」
と言われて、妙に納得してしまいました。
そんな中、一冊の書籍で「不動産投資」というものを知りました。本を一冊読んだだけなのに、その気になって不動産会社を数社回りました。そのうちの1社から、「4,800万円の物件があるが、買わないか」と言われましたが、恐ろしい金額に感じてお断りしました。
その後の数年間、思い出したように不動産会社を訪ねては、収益物件を探してみましたが、購入には至りませんでした。
■本当に公務員を辞めよう
40代になり、職場の移動に伴って環境が大きく変わりました。
元々ブラックな職種ではありましたが、今までにないほどブラックな職場に異動になりました。
当時は、平日は朝7時~夜9時くらいまで勤務で、土日も仕事でした。平日は時期によっては夜中の11時まで働くこともありました。
理不尽な事ばかり続きます。
「この仕事は辞めよう。今辞めなかったら死ぬまで後悔する」
と、本気で思うようになりました。
また不動産投資の本を購入して読み始めました。金銭的に余裕がなかったので中古の本を購入することもよくありました。それでも、当時売っていた本は全部読んだと思います。
仕事に追われる中でいくつかの物件を内見し、やっと購入してもいいと思える物件を見つけました。築13年くらいの鉄骨造の2DK×8戸の物件でした。まわりに相談できる人はいません。不安に押しつぶされそうになりながら買付を出しました。
買付を出す以上に緊張したのは、融資を受けることでした。緊張しながら、給与振り込みをしている金融機関に電話をして名前と職業を伝えると、あっさりと「資料を持って来て下さい」という事になりました。
若い担当さんは、あっさり諸経費込みのオーバーローンを通してくださいました。返済期間は20年を希望しましたが、担当さんは、「20年以上に伸ばせますよ」と言うので驚きました。
今だったらよろこんで、「30年にしてください。」と言いそうですが、当時は借金が怖かったので20年のままでお願いしました。この時、あっさり融資が通ったことで、公務員という属性の優位さを実感しました。
■来年3月までに公務員を辞める!
その後、自分なりに順調に物件を購入できましたが、ある時から、借入額の多さ、物件数の多さ、「公務員が収益物件を増やす必要ないよね?」という偏見(?)の三重苦で、金融機関から厳しい対応を受けるようになりました。
私は公務員を辞めるつもりで不動産投資を始めたので、ここで諦めるわけにはいきません。そんな中、ある方から不動産投資にとても積極的な金融機関を紹介していただき、規模拡大が進みました。
規模拡大を続ける中で、「このまま物件を購入して一定規模になれば、公務員を辞めても生活できる」という自信を持てるようになりました。そして、数年後に本当に公務員をやめることになりました。
私には子供が3人います。その時、2人は大学生で一人は大学院生でした。子どもたちに金銭的に迷惑をかけないためには、アパートは150戸必要だと計算していたのですが、その時点では100戸しか所有していませんでした。
退職する年度末の3月までに、さらに50戸購入して150戸にしなければいけません。さらに、早期退職制度を使って割増退職金をもらうためには、12月までに退職できる目途を立てる必要がありました。
また、退職するのは年度末3月でも、年が明けて1月には退職届を提出しないと早期退職制度は受けられないという縛りもありました。いつも以上に必死で物件を探して、運良く条件に合う物件を見つけました。
そして、150戸を年度末の3月までにクリアーできる目途が立ちました。いざとなると、「本当にやめてもいいのか?」という葛藤が生まれましたが、「この仕事はもう続けられない」という思いが強く、退職届けを提出しました。
■公務員を辞めてから
平成30年の3月末日をもって、公務員を退職しました。
本当にスッキリして、後悔や不安は全くありませんでした。
退職後半年くらい、ほとんど何もせずに過ごしました。はっきり覚えている事は、朝遅くまで寝ていたことです。(ちなみに今は公務員時代と同様に朝5時15分くらいに起床しています)。
勤め人を辞めると、金融機関の融資が止まるということがよく言われます。私もとても不安でした。公務員を退職することは金融機関に伝えられないまま、黙って辞めました。
公務員をやめた翌月の4月に、当時お付き合いのあった全ての金融機関に、公務員を退職したことを正直に話しました。すると、どこも、「辞めたんですね」みたいなうすい反応で拍子抜けしました。
幸い、その後も退職前と同様に融資を受けることができ、自分としては順調に規模拡大を続けてきました。今では私の仕事が「事業」として認めてもらえたようで、むしろ以前よりも積極的に融資していただけています。
■『10年に一度の取引は毎週やってくる!』
私の好きな言葉は、ドルフ・デ・ルース氏の『10年に一度の取引は毎週やってくる!』いうものです。それは田舎でも同じだと思っています。
この言葉を信じて、地方で不動産投資に取り組んできた結果、家賃年収1億6,000万円を超える規模になりました。そんな私の不動産投資の経験が、皆様の何かの参考になれば嬉しいです。
よろしくお願いいたします。