「空き家バンク」とは、空き家が急増する地域の地方公共団体等が、ホームページ等で空き家物件を紹介する仕組みだ。
地元の自治体が地域住民からの空き家情報を募集し、その地域に移住や交流を希望する人たち向けに、売買や賃貸物件の情報を提供している。
名前は聞いたことはあると思うが、実際に利用した人は少ないだろう。「空き家バンク」で掘り出し物の空き家を見つけ、1棟貸しの民泊を始めた三沢茉莉子さん(仮名)の事例を紹介しよう。
大阪市在住の三沢さんが「空き家バンク」を知ったのは、親戚が「これからは都会住まいではなく、のんびりした田舎で暮らしたい」と言い出し、家探しを手伝うことになったからだ。
あちこちの移住サイトを検索し、同じ関西圏の奈良県吉野町の移住体験ツアーを見つけ、親戚と一緒に参加してみた。
吉野町は、「日本一の桜の名所」と呼ばれるほど有名な吉野山や、吉野杉で有名な自治体だ。
全山が桜色に染まる季節は観光客で非常に混雑するものの、それ以外の季節はのんびりしている。ゆったりと吉野川が流れ、近くに見える山には吉野杉が育つ、自然豊かな街だ。
移住体験ツアーに参加したところ、三沢さんの親戚がこの町をとても気に入った。それならば、とツアーの滞在中に空き家物件を三沢さんが調べてみた。
すると、駅から徒歩5分以内で、家が広すぎて売れ残っている物件を発見!それも、「離れ」も含めた3棟まとめてのバルク物件だ。
価格はなんと3棟で500万円!
とはいえ、元々は移住用の1軒を購入予定だったので、リフォーム代を考慮すると予算よりは高かった。
「空き家コンシェルジュ」(吉野町の空き家バンク)を通じて連絡を取ると、売主は施設に入居中のおばあちゃんだった。
先祖代々の家を壊したくない、町に寄付しようとしたがダメだったとのこと。
田舎暮らしをしたい三沢さんの親戚にとっても、他の物件は駅から遠い物件ばかりで、最寄り駅から徒歩数分なのはこの家ぐらいしかなかった。
売り主のおばあちゃんからも、この家に住んでくれるならと少し安くする、と値下げをしてくれた。
「指値をしたつもりはなく、こちらの事情を説明しただけなのですが…。結果的に、指値になったようです(笑)」と三沢さん。
そして、三沢さんが3棟まとめて購入した。
購入後に、親戚が住む棟を急いでリフォームし、一ヶ月後に親戚は吉野町に移住した。現在、三沢さんは親戚から家賃をもらっている。
他の2棟は、三沢さんが多忙だったため、約2年間リフォームもせずにほったらかしにしていたそうだ。
やっと重い腰を上げ、平屋1棟を「一棟貸しの民泊」にするためリフォームに着手。
費用は、平屋1棟と離れ1棟の改装費、家具家電や備品の購入費、民泊のPRと予約受付するためのホームページ作成・パンフレット製作の広告宣伝費など、すべてを含めて約2,000万円。
お金がかかった原因は、水回りを一新したからだ。平屋にはお風呂がなかったので新設し、新しく洋室トイレ2つを設置。
台所には昔からのカマドがあった。風情があり、三沢さんは残しておきたかったが、スペースの都合もありキッチンも全部やり変えた。
また当時は、簡易宿所の旅館業を申請するには100平米以下でないと許可が下りない時期だった。
残念ながら、この平屋は100平米を少し超えていた。仕方なく、民泊用の倉庫やリネン室として使う部分を平屋から切り離し、減築した事も費用が増大した原因だ。
しかし、水回り以外の部分は、売主のおばあちゃんが綺麗に住んでいたため、建具などはほぼそのまま使うことができた。
内壁や建具を塗り直し、畳の表替えや襖の貼り直しぐらいで済んだ。
2018年に無事に簡易宿所の許可がおり、1棟貸しの民泊として貸し出した。それが1日1組限定 一棟貸切の宿『時乃家』だ。
なお、三沢さん自身は吉野町に住んでいないので、全て遠隔操作だ。
予約はホームページや民泊ポータルサイトで受付し、宿泊予定者との連絡はSNSなどで行う。チェックインや緊急時の対応は、移住した親戚がしてくれる。
清掃や物品補充などは、地元の人にアルバイトでお願いしており、地元経済にも貢献している。
この平屋には和室が3部屋あり、最大12人が泊まれる。
コロナ以前は、1回の宿泊で8人から10人の大所帯が借りてくれることが多かったそうだ。有名な吉野の桜を見に、外国人が大家族で使ってくれた。
コロナ禍の今は、1家族4人で借りるというのが多いそうだ。
「日本人の場合は、混む桜の季節ではなく、ほどよい田舎でのんびりするのが好きな方がウチの宿を選んでくれるみたいです」と三沢さん。
企業の開発合宿として男性5~6人が5泊ほど宿泊したり、コロナ前から需要があった3世代ファミリーの宿泊が、コロナ禍では一層増えたと感じるという。
「私の友人たちも、家族で滞在するために借りてくれてます。宿だけど、『私の田舎』みたいに楽しんでくれてます。『田舎のおばあちゃん家に来た!』という感じみたいです」
中庭には井戸があり、秋になったら芝生を植えたり、ハンモックなども置きたいと三沢さん。
離れの2階建ての物件も、ワーケーションや長期滞在できる施設として貸し出すべく、準備中だ。
三沢さんは、元々は普通の大家さんになって毎月家賃をもらえることを夢見ていたという。
「民泊などの旅館業は収入の浮き沈みが激しいです。コロナ禍では収入が激減しました。だから、定期収入が入ってくる『普通の大家さん』に今も憧れています」と謙遜する。
しかし、移住体験ツアーに参加し、その場で物件を探し、購入まで持ち込む行動力は並ではない。
「『やりたい』と思っているなら、ずっと悩むよりまずはやってみた方がいい、と思っています。家族からは、いつも呆れられるんですけどね(笑)」
実は親戚の田舎暮らしの場所も、三沢さんの家からそう遠くない地域も検討し、物件を探してみたそうだ。
しかし、移住体験ツアーに参加してみて、同じような価格の物件ならば吉野町の方が住みやすいと判断して購入したそうだ。
たまたま3棟バルク物件だったので、余りの物件を民泊にしたというところが凄い。
三沢さんの実行力は、人口減少に苦しむ町に移住する人を増やし、民泊に泊まる人達が地域の交流人口となるなど、地域社会に貢献しているとも言えるだろう。
なお、同じく奈良県吉野町で元旅館を再生した事例はこちら。
健美家編集部(取材協力:野原ともみ)